木馬新聞51号

内容

1Q75.8.2

ちょっと村上春樹の小説の題名だと思いませんか?

わたしは高校生の時だったかな?村上春樹の「1973年のピンボール」という本を手に取り読んだのですが、つまらない小説だと思いそれ以降読んだことが無いのです。

なぜ、その本を読もうとしたか、それは中学生の時はゲームセンターに入りびたりだったからです。
わたしのお目当てはピンボールです。

色々なピンボールをしたくて地元の三鷹のゲームセンターだけでなく、自転車で行ける周辺のボーリング場も行きました。
ボーリング場の一角にはピンボールが3台くらい置いてあったのです。
隣の吉祥寺のゲームセンターにも行きました。

定期試験が終わった日にはちょっと遠出して中野ブロードウェイなんかにも行きました。
今は時計屋とまんだらけばかりになってしまいましたが、当時はゲームセンターがたくさんあったのです。

でも、ゲーム中毒にはなりませんでした。なぜならば、ピンボールは家に持ち込めなかったからです。
しかも有料です。1回50円でした。

わたしは普段は100円、遠征した時は1000円ですから、そんなに長い時間やれるわけではなかったのです。

大学生の時にはインベーダーゲームが流行したのですが、私は全く興味が無くやったことはなかったですね。
ファミコンもやったことがありません、あんな電気代だけで、すぐにリセットしてやり直せるものには興味がなかったのです。
もちろん、スマホの中にもゲームアプリなんかは入れていません。

今は、どこにもピンボールが置いてないので、やることはありません。

1975年の8月、私は高校2年生でした。
7月中の夏休みは代ゼミの夏期講習に行っていたと思うのですが、この年の夏休みは特別でした。
この年の4月にフォークグループのかぐや姫が解散して悲しみに暮れていたのですが、8月2日から3日にかけてオールナイトで静岡県のつま恋で拓郎と一緒にコンサートをやると聞いて、発売日にはちゃんと2枚チケットを買ったので、このコンサートを楽しみにしていたのです。

一緒に行った相手は今も一緒に仕事をしている弟です。こいつが中三でした。中高一貫校だったので受験はなかったんですね。

静岡県の条例では、18歳未満は午後10時以降外出してはいけないそうで、チケットの裏にはそのような注意書きはありました。
実際、コンサートの途中で18歳未満の方は帰るようにとアナウンスはありましたが、私たちは、もちろん帰るわけがないです。

そもそもいつからつま恋にいたかというと8月1日の夕方には会場周辺にいたのです。
よく親もオールナイトのコンサートに行くことを許したとも思うのです。

三鷹を朝早く出たのですが、東海道線の鈍行で行ったもんだから、時間がかかること着いたのは夕方でした。
掛川駅から徒歩30分くらいのところにあったのですが、待ちきれない若者がたくさんいて後を付いていけばよかったのです。
後から聞いたのですが前日から会場にいたのは千人を超えていたそうです。

宿泊施設なんかなくて、タオルケットを持っただけで野宿でした。
おそらくエンジンを使っての自家発電のライトが何か所かにありそのそばで朝を待ちました。
でも興奮で眠れるわけもなく、寝たり起きたりの繰り返しでした。

時々、燃料が切れて、ライトが消えるとあたりは真っ暗になるのです。
すると天の川が見えたのです。
東京で生活していると天の川なんてのはプラネタリウムの世界ですが、天然のプラネタリウムのようでした。
天の川って本当にあったんだと感動したものです。

4時頃には周りは明るくなってましたが、開場は12時、開演は17時でした。
長い夜の後は、長い昼です。

暑さに耐えて、会場入りして、自由席でしたからなるべくステージ近くを取りました。
多分、我々兄弟は最年少だったと思います。

周りは大学生や社会人らしき大人の連中、彼らは時間の使い方を知っていますから麻雀なんかをしたりしていました。
我々は小遣いも最低しかなかったですから、雨が降った時のための雨傘を日陰にしてオールナイトに備えて寝るのみでした。
これが功を奏しました。麻雀やっていた連中は深夜に熟睡していました。

我々は全ての音を魂に刻み付けて堪能することができたのです。

毎年8月が近づくと、1975年の暑い夏を思い出し、魂が熱くなるのです。

皆さんは、魂が熱くなるような思い出ってありますか?

院長 髙安洋

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